縦走登山

山登りの醍醐味は縦走登山だと思っている。南北アルプス等の稜線を2日から3日をかけて、周りの景色を見ながら歩くと気分爽快である。仲間と歩くのも楽しいが、ある目的を持って、一人で周回するのもまた趣がある。山歩きを始めた当初から振り返ってみると、いろんな山域を歩いた。ここではその中から、思い出に残っている山行をピックアップして掲載する。過日、過去の山行をまとめてみたが、1300を超すピーク、ルートを踏破したことが分かった。

●白馬三山縦走(1966、8)

初めての北アルプスが白馬三山縦走だった。会社への同期入社4人との登山で、大雪渓を登り、白馬山頂から見た初日の出の感激は、私が山に傾倒してゆく大きなきっかけとなった。やはり須坂近辺の山とは違っていた。山で出会う仲間もどこかはつらつとして楽しそうであった。そして何より、その仲間たちが皆若い同世代だった。今、登山者の高齢化が話題になっているが結果的にはこの世代の若者たちが、平行移動して山に登っているのであって、若者の登山離れが進んでいる証拠であろう。

●折立~湯俣温泉縦走(1966,8)

会社の先輩達の中に、北アルプスの縦走を楽しんでいる仲間がおり、そこに参加させてもらう事が出来るようになった。この年の夏休みは富山の折立から入り、太郎平でテント泊、薬師岳に登り、薬師沢から雲の平へ進みゆっくり休む。次の日、三俣蓮華岳から鷲羽岳の鞍部より鷲羽岳の中腹を通り、湯俣温泉に下る伊藤新道(今は廃道)が少し道は荒れていたが、通行可能でそこを下った。数年前、三俣蓮華山荘に泊まった際聞いてみると山荘の小屋締めの後、今は廃道になっている伊藤新道を湯俣温泉に下りているらしい。湯俣温泉では夜、河原に穴を掘って温泉に浸かった記憶がある。この当時の登山用品は今と比べ物にならず重いキスリングを背負ってよく歩いたものだ。

●菅平~浅間山(1967,8)

この頃から単独行も始めるようになった。手始めに菅平の根子岳から長野、群馬の県境の稜線沿いに浅間山まで縦走を試みた。稜線上は一部不明瞭の部分が多く、またクマ注意の看板等もあり、怖い思いをした。勿論当時浅間山の頂上に立つことは可能で(あまりうるさくなかった)噴煙の上がるお釜の周りを歩いた。重い荷を背負って一人、誰とも合わない尾根筋を歩く元気があったものだ。

●苗場山~谷川連峰縦走(1969,9)

単独縦走も範囲が広がり、苗場山~谷川連峰の縦走を計画した。祓川から入山し、苗場山を過ぎ、 赤湯に下る途中に大きな滝があり、その横でテントを張った。一晩中滝音がうるさかった。次の日、赤湯を通り一旦国道17号の元橋に下り、松手山経由で平標山へ。万太郎を過ぎ、途中の大障子避難小屋で1泊した。混んでいたが快適だった。そのまま稜線上を進み、谷川岳、茂倉岳を経て土樽に下った。後は上越線とバスを乗り継いで車のある祓川に戻った。長い縦走路、天気はあまり良くなかったが達成感のある縦走であった。

●北鎌尾根(1975,8)(1996,9)

地元の山岳会に入り、同世代の仲間が集まると行動範囲は更に広がってゆく。この年の夏は槍ケ岳集中登山であった。各方面から槍の頂上を目指した。私は友人と二人で北鎌尾根経由で槍の向かった。当時はまだ湯俣温泉から北鎌尾根、取付点の千天出合までの吊り橋も通れ、北鎌尾根末端のP1より槍ケ岳を目指した。1日では無理でビバーク覚悟であった。やはり夏の北鎌尾根は暑く、独標の頂上でビバークしたが、水不足で翌朝は草の葉に貯まった朝露を二人で真剣にすすった。登山道が錯綜していたが、無事槍ケ岳の頂上に辿りつき、肩の小屋で集中登山を祝した。帰りは西鎌尾根の千丈沢乗越から千天出合まで千丈沢沿いに宮田新道が通れ、一気に千天出合まで駆け降りた。2回目は3人で大天井ヒュッテから貧乏沢~北鎌沢コル経由で登った。途中稜線から転落し救助を求める登山者3人に出会い、ザイルを投下して稜線まで引き上げた。結局彼らはヘリの助けを借りて下山したようだ。

●カモシカ山行(1990,11)

当時冬山合宿等大きな山行の前には「カモシカ山行」たるものが定着していた。足慣らしと、持久力アップの為だ。この年は11月に土合~白毛門~笠ケ岳~朝日岳~清水峠~旧国道を経て土合に戻るルートで実施した。コースタイム13時間程を黙々と歩いた。11月の霧氷で真っ白に色づいた木々を見ながら、寒かったが汗もかかず快適だった。同世代の若者が集まると苦しいトレーニングも楽しいものだ。

●下の廊下(1991,10)(2000,6)

仲間5人と下の廊下に行った。黒四ダムから黒部川に下り、旧日電歩道を欅平まで1泊2日の日程だった。残雪等の影響で歩行できる時期は限られている。初めての経験だったが、断崖絶壁をヘツリながら進むイメージではなかった。しかし登山道はあまり整備されておらず、トンネル内は水がたまっており、登山靴が水没してしまった。その後2006年にも行ったが、トンネル内は整備されており、問題なかった。阿蘇原の露天風呂は快適で、疲れを解消できた。やはり圧巻は水平歩道で、絶壁をコの字にくり貫いた登山道は迫力満点だ。昔の黒部川発電所の開発に携わった人々に敬意を表したい。

●大台ヶ原~大杉谷(1998,10)

山岳会に大阪出身がいて、大杉谷を下ろうとの計画が持ち上がった。話では聞いていたルートだったので、興味深々で参加した。入山当日、運悪く(良く?)大阪出張だったので装備一式、大きなバッグに入れ、さりげなく仕事をして現地集合した。このコースの圧巻は大杉谷に流れ落ちるいくつかの滝だ。水量の多い滝、山の頂から流れ落ちる滝、段を作ったり流れを分けたり、さまざまだった。登山道はやや危険な所もあり、後続の夫婦が岩場より転落したとの情報もあった。中間の桃ノ木小屋も趣があった。しかし、その後の水害で、大杉谷はしばらく通行禁止が続いた。帰り松坂でおいしい牛肉を食べて帰った。

●赤石岳1日登山(2000,8)

日本百名山達成も目前の頃、南アルプスの赤石岳が残っていた。普通は2泊3日が当たり前だ。しかし小渋川を遡行する点線ルートを利用すれば、何とか1日で赤石岳の頂上に立てる目途が付いた。早朝小渋川に下り、幌尻並みの十数回の渡渉を繰り返し広河原小屋に沢装備をデポし、登山道を大聖寺平経由で赤石岳に登った。頂上には2時ころ着いた。無理すれば下れたが避難小屋に1泊した。当日誰とも会わなかったので、このルートは登る人がいないのか尋ねたところ、1週間程前に登山客が流されて死亡し、地元の人は寄り付かないとの由。この話には後日談があり、その登山者は犬を連れており、犬はなくなった主人を求め、小渋川をうろつき遠吠えを繰り返していたとか。 

●種池小屋~針ノ木~船窪小屋~烏帽子小屋(2001.9)

この年は少し長期縦走を試みた。扇沢から種池小屋を経由して、針ノ木~蓮華岳~船窪~烏帽子の稜線を歩いた。途中の登山道ではガンコウランがたわわに実をつけており、食べながら歩いた。また、蓮華の大下りでは登山道の斜面にはコマクサの大群落があり、槍ケ岳をバックに素晴らしい光景だった。岩手山のコマクサに比べ、他の花はなく、砂礫とコマクサのみで見事で白花もあった。今まで見た中で最高だった。船窪小屋はランプの宿で趣があった。不動沢の大崩落もすざましい。更に、裏烏帽子の池塘群も綺麗で、あまり登山客が立ち入らない分、自然が残っている感じだ、後はタクシーで扇沢に戻った。

●室堂からダイヤモンド~雲ノ平~読売新道(2008,8)

2006年9月、60歳の時、新穂高~鏡平~笠ケ岳~笠新道~新穂高の日帰り縦走をし、少し足の自信がついたので、もう少しハードな縦走をしてみたくなった。そこで表題の様な周回ルートを計画した。初日扇沢を一番のトロリーバスで出発して室堂に行き、そこからダイヤモンドルートに入り、ザラ峠~五色ヶ原~越中沢岳~スゴ乗越小屋まで行った。翌日は早暁に小屋を出て薬師岳を経由して太郎平小屋までダイヤモンドルートを歩き、そこから薬師沢に下り雲の平を横切り三俣蓮華で宿泊した。3日目は時間の関係から鷲羽岳をパスし、岩苔乗越から水晶岳~赤牛岳~読売新道~平ノ渡し~黒四~扇沢へ。特に最終日は黒四からの最終トロリーバスに間に合うよう黒部湖の周りの登山道を競歩並みに歩いた。コースタイム計43時間を3日では結構キツかったが我が山登り人生の中で、最初で最後の大縦走山行となった。

●伝付峠~荒川三山~塩見岳~蝙蝠岳(2010,9)

本格的なイタリアン料理で有名な南アルプス二軒小屋の従業員と知り合いになり、二軒小屋泊の縦走計画を立てた。椹島からでは時間がかかり過ぎるので、山梨県側の田代から入り、伝付峠~マンノー沢の頭~千枚小屋で1泊。翌日、荒川三山を経て板屋岳~小河内岳~三伏峠小屋で1泊。最終日は塩見岳~蝙蝠岳~二軒小屋まで歩いた。蝙蝠尾根の一部、踏み跡が不明瞭で注意が必要だ。二軒小屋では前評判通りの本格的イタリアンを格安で味わう事が出来て大満足であった。その昔、正月荒川三山をやった時、寒くて冬小屋で一晩中マキストーブを燃やし続けた記憶がよみがった。

●大無間岳(2010,12)

大無間岳は椹島に入る際、富士見峠より見える雄大な台形状山塊で、何時かは登りたいと思っていた。賛同者が集まり決行した。ここは、途中小無間小屋(無人)を利用しないと普通は日帰りは無理だ。更に川井湖からの一気の登りと、小無間から大無間の痩せ尾根が要注意だ。前述の2項目を注意すれば問題なかったが初日の急坂はこたえた。先日、田中陽気が大無間を縦走している時、痩せ尾根でビビッてている番組を見て懐かしく思えた。

●笊ケ岳(2011,12)

この山も何回か登った。雨畑から行っても、椹島から行っても遠い山で、日帰りがやっとセーフである。しかしこの山からは南アルプスの山々が一望でき、南アルプスの展望台と言っても過言ではない。時期的には初冠雪後が最もよく、澄んだ空に南アルプスの山々が美しい。朝夕の斜光を利用するには一泊が良い。

●越百,南駒ケ岳(2012,9)

中央アルプス南部の縦走を楽しんだ。大桑村から入り、越百~仙涯嶺~南駒ケ岳を経て登山口に戻るコース。ところが当てにしていた越百の避難小屋が、有料小屋に変っており、急遽尾根を登り越百の稜線にテン泊。翌日、仙涯嶺を通り南駒ケ岳に登って下山した。中々面白いコースだった。ただ、当会の口数の多い女性がご一緒だったため、にぎやかな山行だった。

●那須-甲子温泉(2012,10)

那須には何回も行っているが、ここから甲子温泉へは未踏のルートだった。誘われて参加した。中の大倉尾根から三本槍に登り山容の素晴らしい旭岳に向かった。須立山を通り、坊主沼避難小屋へ。次の日は晴れて、旭岳に登る。紅葉が綺麗だった。下山して念願の甲子温泉の湯に浸かって帰った。

●阿蘇,九重連山(2013,6)

九州の阿蘇、九重連山を登ってきた。初日はケビンを使って安く済ませた。阿蘇の火山は落ち着いており、高岳から火口を周遊できた。2日目はミヤマキリシマが咲き誇る平治岳~大船山を回って坊がつるの法華院温泉の湯に浸かった。ここは何回も来ているが周りの環境も温泉も最高である。天気には恵まれなかったが、良い思い出だった。しかしこの年はミヤマキリシマに害虫が大発生し、無残な姿で花の無い木も合った。消毒をすればいいが、その虫を食べた鳥へ負の連鎖を断ち切るため自然に任せているとの事。

●白峰南稜(2013,10)

日本百高山を目指す仲間がいて、白峰南稜に挑戦した。ここは南アルプス大門沢下降点から稜線を南下して伝付峠に至る点線ルートであるが、今回は笹山から下山した。百高山は大籠山2767mである。途中テン泊しないと縦走は無理である。点線ルートだけあって、ハイ松漕ぎも有ったが、何とか縦走することが出来た。

●荒島岳、白山(2014,7)

荒島岳と白山に登ってきた。車だと疲れるが、いろんな面で便利なのでこの方法を取った。荒島岳は特に特徴はないが、私が最初に登った頃は、頂上に電波反射板が鎮座していた。白山温泉で泊まり、次の日別当出会いから室堂センターまで登り宿泊。最終日は白山に登り、火口湖を一周して、帰りは観光新道で豊富な高山植物を見た。ここにはハクサンダイゲキだけを載せる。最後は白川郷を見学して帰った。

●餓鬼岳(2014,7)

餓鬼岳に行ってきた。昔行っているが、改めて登山道の悪さを実感した。大雨が降ればたちまち通行止めだ。餓鬼小屋の横にテントを張り、次の日唐沢岳を目指した。ここは黒部峡谷に半島のように突き出した鋭鋒で槍穂高の眺めがすこぶる良い。今回は残念ながら見ることは出来なかった。

●剱岳連続登頂(2014,8)

厳しい山行が重なった。友達と早月尾根経由剱岳の計画を進めていた時、源次郎尾根のお誘いがあった。計画を多少ずらして合体した。まず馬場島荘に泊まり早月尾根を経由して剱岳を目指した。鎖の数等は表尾根と同じくらいで難易度も同程度。登頂後前剱を経由して剱沢に降りた。そこで源次郎隊と合流した。次の日は源次郎の岩登りだ。余り難しくはないが、最後のアップザイレンがポイントだ。そして2日連続して剱岳山頂に立った。下りは尾根沿いは飽きたので平蔵谷を降りた。そうしたら警備隊の連中が縦走路からずっと我々の行動を監視していた。最終日は真砂沢からハシゴ谷乗越経由で黒部ダムに帰ったが路は悪かった。

●越後三山縦走(2014,9)

越後三山の縦走を行った。八海山神社駐車場に車を止め、三山をめぐり元に戻るルートである。まずは神社から千本檜小屋を目指す。テント装備で荷が重い。千本檜では無人小屋で泊まる。翌日がこのルートの正念場である。まず八海山の縦走で鎖場が連続し、垂直の登攀や、30m近い鎖もあり、入道岳迄続く。更にこの先がオカメノゾキと言われる難所。痩せ尾根のアップダウンの下り500m、そこから登り800mを経てやっと中岳避難小屋だ。その間炊事用の水を汲んで担ぎ上げなければならない。更に運悪く小屋は満杯状態。靴脱ぎ場に板を渡して辛うじて寝た。しかし翌日は天気に恵まれ、紅葉が朝日に照らされ眩しかった。越後駒ケ岳をピストンして急な尾根を下り、満ち足りた気分で八海山神社に辿り着いた。

●栂海新道(2015,8)

この夏の夏山合宿は白馬岳に決まった。白馬岳は今から50年前初めて登った北アルプスである。その後白馬周辺は登り尽くしたが、栂海新道だけが残っていた。集まった3人で標高差約3000mを2泊3日で下った。朝日岳より先は時期によってはグチャグチャ道と聞いていたが、思ったより道は良かった。何より高山植物の種類が多く、また大規模に咲き誇っており、縦走の疲れを癒してくれた。日本海を見て、3000mを下って来たんだなとの実感が湧いた。糸魚川から東京は新幹線であっという間だった。

●ジャンダルム(2016,8)

6回目のジャンダルムである。今回は6人で挑戦。初めての方もいたので裏妙義や八ケ岳、横岳縦走等の訓練をして臨んだ。天気はまずまず。早めに西穂小屋を出て岩稜に取りつく。岩場でもザイルは出さなかったが、人数が多いとどうしても時間がかかる。3点支持をしっかり行い、馬の背等の難所も特に問題なく乗り切った。奥穂高岳でみんなで万歳をした。初めて挑戦した人はさぞかし感激したと思う。白出沢経由で新穂高温泉に戻った。

●カムイエクウチカウシ(2017,6)

昨年頃より300名山を狙い始めた。百名山に比べればはるかに大変だとは聞いていた。実際に調べてみると、歩行時間が10時間を超える山がゾロゾロだ。その中で登りずらい山最右翼に位置しているのが、カムイエクウチカウシである。北海道で最初の300名山に選んだのはできるだけ早く厳しい山を終えたかったからである。いかし、登り口の林道で早くもヒグマに遭遇し、まったく予期せぬ事態に立ち止まって硬直。運よくヒグマが逃げてくれて命拾い。はっきりした登山道はなく膝まで浸かる川の渡渉を繰り返すしか手はない。沢尻からはフリークライミングと踏み跡のはっきりしないヤブコミ。ようやく稜線から山頂に向け踏み跡が現れた。アイヌ語で「熊が転げ落ちる山」の形容の如く厳しい山だった。帰り雪渓で足を痛め、渓流で冷やしながら13時間を費やしてテントに戻った。

●高塚山,黒法師岳(2018,4)

雪不足で尾瀬、景鶴山( 残雪期しか登れない)が山行不可となったので、急遽計画を前倒しして、南アルプス深南部の高塚山と黒法師岳に登ってきた。共に長いダートな林道を走らなければならず、直前まで地元の林道管理部門とやり取りした。高塚山は林道の奥の山犬段に立派な避難小屋があり登山者も多かった。一方、黒法師岳は厳しい山だった。土砂崩れのある林道を2時間近く歩き、そこから3時間かけて1000mを超す急登を経て頂上に辿りつく。黒法師岳は、2000mを超す山としては日本最南端に位置するという。また、この山は300名山だけでなく、三角点ハンターには垂涎の場所らしい。普通三角点の上には+の刻印があるが、黒法師岳の刻印は×になっている。これは珍しいことで他にはあまりないらしい。この三角点を求めてやってくるハンターも大変だ。300名山ハンターも同じ穴のムジナか! 

●白石山[和名倉山](2018,6)

東京近辺にある200名山で唯一取りこぼしているのがこの白石山[甲州側の呼び名](和名倉山[武州側の呼び名])(雲取山と 甲武信岳の中間)である。理由は簡単で往復で10時間近くかかり、敬遠していた。しかし今月末に北海道で10時間程のツアー に申し込んでおり、足慣らしの為、重い腰を上げた。当初、将監小屋泊も考えたが、73歳を迎えた自分の足の可能性を確認し ておきたかった。梅雨の晴れ間に三ノ瀬登山口を余裕を見て4時出発。天気も良かったので歩が進み、帰りは多少足にきたが コースタイムの85%で歩けた。

●読売新道(2018,8)

久しぶりに北アルプスの元気な縦走登山をしてきた。新穂高温泉から入山し、鏡平小屋~双六小屋~三俣蓮華岳~鷲羽岳~水晶小屋~水晶岳~赤牛岳~読売新道~奥黒部ヒュッテ~黒四ダムまで3泊4日、歩行時間30時間の行程だった。初日は台風の影響で終日ドシャぶりの雨で沢は増水。鏡平小屋の従業員が心配して3ケ所の沢を見守ってくれていた。しかしその後の3日間は好天に恵まれ、北アルプスの南部から中部、北部に至る主要な峰々を終日360度眺めながらの縦走だった。しかし我々も最も危険地帯に指定していた黒部湖畔の狭道では前日登山者が転落しヘリで運ばれたらしい。しかし小生は熟年美女4人に囲まれ、至福の読売新道縦走を楽しんだ。

●朳差岳(2018,9)

飯豊連峰の北端に位置する200名山、朳差岳(えぶりさし)に登ってきた。行動中は雨にもあわず、ラッキーだった。改めて東北、飯豊山塊の奥深さ、雄大さを身にしみて感じてきた。紅葉が一部始まっていたが、高山植物もまだ健在で最盛期の素晴らしさを思うと、再度登りたい山である。しかし、宿泊装備を持って避難小屋まで急登7時間、避難小屋から朳差岳をアタックして登山口までの所要時間役10時間を考えると二の足を踏んでしまう。頼母木避難小屋は水も豊富で、綺麗で素晴らしかったが、宿泊者は我々5人だけだった。車の総経距離は800kを超えた。

●穂高連峰~パノラマルート(2018,10)

久しぶりに上高地、岳沢から入山し重太郎新道経由、前穂高岳~吊尾根~奥穂高岳~涸沢~パノラマルート~上高地を3日で歩いてきた。最終日はガスは出たが雨にはあわなかった。前穂高まではハシゴあり、岩場あり変化に富んでいて楽しかった。涸沢の紅葉は例年に比べナナカマドの色付きがイマイチであった。また平日かもしれないが、テントの数が少なかった。パノラマルートはやや荒れていたが、横尾経由より変化があって堪能できた。山小屋の食事はお腹一杯になった。考えてみればホテル並みの料金なので当然かもしれない。今回も美女4人に囲まれ、至福の縦走だった。

●神威,ペテガリ,石狩,ニペソツ(2019,7)

北海道の山、四座のツアー(延べ12日)に参加した。登山口までの林道通過も含め厳しい山なのでそれなりの人達が集まるツアーで、若いガイドはコースタイムの85%位でとばす。最高齢の私は必死にガイドの後を追う。神威岳やペテガリ岳ではバテテ登頂できない人もいた。本州では大雨だったようだが、北海道ではニペソツ岳除いて頂上では晴天であった。神威岳は沢遡行+900mの急登で歩行10時間。ペテガリ岳の初日はペテガリ山荘まで沢を詰め峠を越して4時間のアプローチ。宿泊装備で荷は重い。ペテガリ岳アタックは長いアップダウンの繰り返しの末、最後は500mの急坂が待っていた。特にこの日は暑く、額から汗が滴り落ちる。でも頂上からの眺めは良く、昨日の神威岳や次のニペソツ岳の槍のような鋭鋒が素晴らしかった。歩行11時間で登り返しもあり疲れた。二山の登山口までの林道は荒れており、雨で通行止めの可能性が大だ。石狩岳は奥まった山だが比較的登りやすかったが8時間の行程だ。ニペソツは生憎の霧であったが、ペテガリから眺めた通り、急峻な岩峰で歩行は10時間を超した。ただ高山植物が綺麗で、特にイワウメの群生が見事だった。今回厳しい四座への挑戦、足が心配であったが、ツアーの谷間の休養もあり、何とか登りきる事が出来た。北海道はまだ8座残っており、頑張ろう。

●池口岳(2019,7)

7月28日は前から南アルプス最南端の池口岳を予定していたが、台風の進路のど真ん中。しかし、雨雲の動きを良く分析すると、28日午前3時頃には池口岳を通過している。この機を逃すべからず。27日夕刻松戸を出発。登山口では雨が激しく車の屋根を叩き眠れない。でも3時半に目を覚ますと雨はすっかりやんでいた。4時、ヘッドランプで出発。登山口の標識に頂上まで6時間25分とあったが、めげずに歩き出す。長い長いアップダウンのある尾根道を繰り返し、頂上に達した頃には陽も射してきた。展望は利かなかったが、雨具を出さずに済んだ。厳しかったが記憶に残る山行であった。レアーな山で、レアーな日だった為、10時間を超す歩行であったが、全くの一人旅だった。 

●オプタテシケ山,芦別岳(2019,8)

北海道のオプタテシケ山と芦別岳に登ってきた。台風8号の残骸が熱低となり前線を伴い停滞した為、小雨が降ったり止んだりで終日雨具を着用した。オプタテシケ山は歩行が14時間近くかかる為、途中の美瑛避難小屋で仮泊した。この小屋は大雪~十勝縦走路の要衝にある為、雨にも関わらず6人が宿泊した。雨の為登山道は小川となり歩きずらい。辛かったが、難関のオプタテシケ山に登頂出来て満足。それに比べ、芦別岳は甘く見ていたが、結構奥深く、しんどい岩峰の山だった。雨で全体像は見えず残念だった。両山とも、雨と汗で下着までびっしょりとなったが、白金温泉に浸かり疲れを癒した。雨の中思ったより疲れたので、自分へのご褒美に千円+でビジネス席でゆったり寝てきた。

●白峰三山縦走(2019,8)

300名山、一休みして南アルプス白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の縦走を楽しんだ。ところが天気があまり良くなく、十分な眺望を楽しむ事は出来はなかった。北岳から中間道を通り高山植物を鑑賞した。環境省の係官が数人でお花畑の食害の調査をしていた。また小生としては十数年ぶりにタカネマンテナに出会えラッキーだった。翌日天気が下り坂だったので北岳山荘を早めに出て、間ノ岳、西農鳥、農鳥岳を回り大門沢下降点から宿泊地の大門沢小屋に到着したのが1時過ぎだった。当然、小生は計画通り宿泊と思っていたら、リーダーはじめ当会の熟年女子達は元気はつらつ、このまま奈良田までGOである。しぶしぶ後を追う。しかし奈良田温泉近くでは雨が本降りとなり濡れた。そこで近くの西山温泉の湯にゆっくり浸かり、濡れて冷えた体を温め、2泊3日を1泊2日に短縮した縦走登山を終えた。

●鍬埼山(2019,9)

立山、美女平近くの鍬埼山に登ってきた。スキー場から稜線までのゴンドラが廃止され、その分歩くため、歩行時間が12時間を超す難関の山の1つになっていた。その為、スキー場で前泊し、4時前にヘッドランプを点けて出発した。稜線までずっと階段状で歩き難い。台風一過の晴天で気持ちが良い。でも登山道は樹林の中で見通しは利かない。頂上からは立山、薬師が一望できたが、見慣れた山容を裏から見ている感じでしっくりしない。でも頑張って登ったおかげで10時間を切ることができた。これで北アルプス及びその周辺の山は登り切った。

●奥茶臼山(2019,9)

アルプス、赤石岳の南側に位置する奥茶臼山に登ってきた。赤石岳からは長い稜線上の先端に聳えるその山並みをいつも眺めていたが、今度は逆に南アルプスを眺める番だ。良く通行止めになるしらびそ峠まで長い林道を車で入り、車中泊して稜線を歩く。最初は登山道の両脇は苔むしていて、北八ヶ岳を彷彿させるのだが、それもつかの間稜線に出ると風倒木が登山道を塞ぎ、避けて進まなければならず、歩きずらい。この日、関東では雨降りだったようだが晴れ間も出て登山日和である。残念ながら頂上は樹林帯の中で展望は利かない。途中の登山道からは聖岳周辺の山が見えた。これで南ア及びその周辺の山は登り切った。登山道が荒れていたため、コースタイム8時間ジャスト。

●摩耶山,祝瓶山(2019,10)

摩耶山、祝瓶山に登ってきた。東北、朝日連峰の南北端に位置し、なかなか面白い山だった。摩耶山はハシゴで滝の横を登るルートが楽しかった。でも中々キツイ登りのある山であった。祝瓶山は東北のマッターホルンと言われており急峻な山のイメージはあったが、遠景からもそれが伺えた。実際、いくつもの小ピークを経て、頂上直下の岩場がキツかった。草付きの岩場を、三点確保で慎重に登る。足を滑らせれば奈落の底だ。登りは何とか登ったが、下りは危険な為、時間はかかったが、岩場のない反対側の稜線コースを辿った。紅葉は始まっており、大朝日で見られるような赤系の色付きが見事であった。

●新潟、焼山(2019,10)

10月に入り休みの度に雨が降る。焼山も3回目の挑戦だ。しかし、登山口に着いたらまた雨。1時間半ほど待って、小降りになったので、出発。最初はまずまずの登山道だったが、途中から火山の山らしくV字形に深くえぐれた、急峻な谷を2つ程越えなくてはならず、ハシゴやザイルを手掛かりに危険な登下降を強いられた。また頂上直下では3点確保の岩登りやガレ場のトラバース等大変だった。更に雨で方向が掴めず、スマホの位置確認を頼りにやっと頂上にたどり着いた。時間は12時半だ。此の山はまだ危険なため、車の入れるゲートは10月までの土日祝日の朝6時から夕方5時までと限られている。雨で出発を後らせたため、時間がない。他の登山者は誰もいない。雨の中事故を起こさぬよう、慎重にしかもできる限りの速足で駆け下りた。ゲート閉門まであと15分を残すのみだった。

●金剛堂,人形,大笠山(2019,11)

北陸の山3座に登ってきた。1つは金剛堂山で地元、富山では人気の山のようで30人近くの登山者がいた。比較的登山道も整備されていた。頂上は草原で、天気も良く遠くには雪を戴いた槍、穂岳連峰もくっきり見えた。早く下山できたので、五箇山を見学した。白川郷ほどではないが、合掌造りの民家を見学した。2日目は人形山を目指した。平安時代からの信仰の山のようだ。頂上からは一昨年難儀した思いで深い200名山笈ケ岳、稜線の横には明日登る大笠山がはっきり見えた。当初、大笠山を甘く見ていたが、笈ケ岳の横に有るだけあって、標高差1100m 以上あり、登山道はのっけから鉄梯子、鎖 から始まる。厳しい山なので頂上には避難小屋がある。昨夜の雨で落ち葉の積もった急坂の下りは気が抜けない。これで北陸地方の300名山は完登で有る。