春山山行

春になると雪山の厳しさも和らぎ、グンと活動範囲が広がる。楽しくロング縦走もできるようになる。また山のよってはこの時期しか入山できない山もあり、大切なシーズンだ。今考えると、結構ヤバイ山行もあった。        *詳細は登山記録参照)

●北アルプス、白馬岳(1976,5)

最初に入った地元の山岳会で北アルプス、白馬岳に行きました。白馬大池にテントを張って白馬を往復しましたが、アタック後の夜強風に見舞われ、ブロックを積んでいたにもかかわらず、テントのポールが折れ、みんなで寝ずにテントを抑えていた苦い経験があります。今で言う、春の嵐ですがそれを予測する知識は持ち合わせていませんでした。

●南アルプス、塩見岳(1980,5)

東京へ出てきて入った山岳会の、春山山行が南アルプス塩見岳でした。当時は北沢峠まで行けるバス便はなく、戸台から重い荷 を背負って戸台川の河原を一日かけて北沢峠まで歩きました。好天に恵まれ、素晴らしい塩見岳を満喫できました。登頂も大した 困難もなく、できました。若いって事は素晴らしい!だんだん雪のある時期の登山にハマってゆくことになります。勤めが東京で、 新宿で例会があったこの山岳会が便利で、結局30余年在籍しました。勤めが五反田の時期、忙しい時は夜例会に出て、また会社 に戻って仕事をしたこともありました。

●西穂高~奥穂高縦走(1985.5)

友達と二人で上高地から西穂高に登り、奥穂高まで縦走した。この縦走路にはまだ残雪が結構残っており、しかも腐りかけており注意しないとズルズルと落ちる。急斜面は岩雪のミックスでアイゼンを慎重に効かせて登った。氷結していなかった分、ステップがきれて助かった。かえって夏の厳しい個所が雪に隠れて楽な分もあった。驚いたのはこの当時、山に登るのは皆若く、ジャンダルムから見ると奥穂高の頂上には登山客が鈴なりになっていた。また奥穂小屋からは列をなして登る登山客をしり目に、グリセードーで一気に涸沢まで降りた。

●表銀座単独縦走(1995,5)

この頃、単独行にも芽生え、冬は無理だが、春なら可能性があるとの判断から表銀座に挑戦した。若かったので夏の日程で挑んだ。しかし春を甘く見てはいけない。大天井岳は夏道トラバースは使えず、大天井岳に登っての行軍。西岳までの稜線はナイフリッジで踏跡なし。西岳に着く頃には疲労が大分蓄積した。さらに悪いことに、西岳分岐の岩場で道を探しているときに、アイゼンの連結金具が破損してしまった。応急処置をして東鎌尾根にアタックしたが披露困憊。水俣乗越から槍沢に下ろうとも思ったが、先行する3人を発見。何とか追いつこうと最後の力を振り絞る。当初計画では肩の小屋まで行く予定であったが、途中の殺生小屋で力尽きた。殺生小屋の主人は単独で燕から来たと告げると呆れていた。夜半から大荒れの天気となり朝になっても視界が殆どない。槍登頂を諦め、頭に入っている槍沢の道を頭で辿りながら無事下山した。

●剱岳単独登頂(1997,4)

この年も春は単独行で歩いた。本当は剱岳のを春山写真撮るために剱御前に出向いた。天気が良かったので剱沢小屋まで降りて朝の斜光で撮影したかった。しかし小屋は開始を目指して準備中で最初は宿泊を断られた。しかしもう一度登り返す元気がなく、寝るだけの条件で泊めてもらった。翌朝目が覚めると3人組が剱岳を目指しているのが目に入った。小屋の人には単独で剱岳は止められていたが、登りたい気持ちに火が付いた。さっそく準備をして3人組の後を追った。厳しかったのは前剱の雪壁。ピッケルと出歯アイゼンで辛うじて登れる斜度で50度近くあったかな? 3人組はザイルを使っていた。何とか乗り切ったが、下りは無理だと思った。その後長い雪稜を辿ったが、唯一雪のない場所はカニのタテバイのみであった。頂上から見た立山方面の眺めは抜群で、まるでヨーロッパアルプスを見ているようであった。帰りの雪壁は危険すぎるため、平蔵谷を 剱沢に降りた。非常食を食いつないでの登頂だったため、腹が減って剱沢雪渓の登りはカメ歩行だった。でも満ち足りた山行だった。

●南アルプス南部縦走(2000,5)

仲間が集まったので南アルプスの南部縦走(畑薙~茶臼岳~上河内岳~聖岳)を試みた。最初は順調だったが聖平小屋近辺で雪が緩んでおり、足がズボンの連続で大幅に時間のロスが発生。小聖岳の山頂にテントを張ったが1人がバテテ、聖岳の登頂を諦め下山を決めた。聖平小屋から聖沢沿いの夏道に踏み跡があったので下山を開始。しかし踏み跡は細り、ついに消えてしまった。しかしこの夏道は過去に歩いており、できるだけ高所トラバースを描きながらラッセルを進めた。しかし人間の足は楽な方向に自然に向いてしまい、ついには聖沢に降り、聖大滝の上に出てしまった。よくある遭難のケースだ。しかしここから経験の差が出た。実は数年前、聖沢を遡行した際、大滝は登れないので夏道側を高巻いたことがあった。急斜面だったので残置ロープが随所にあり、それを発見したのだ。それをたよりに無事夏道を発見し事なきを得た。この時期聖岳は便ケ島からが一般的で調査不足が否めなかった。

●白馬岳杓子尾根(2001,5)

白馬三山の一つ、杓子岳の杓子尾根の単独登山に出かけた。ありふれた春山登山では少し物足りなくなっていた。前年春、友人と唐松岳から不帰を通り白馬まで行く予定が一人バテて鑓温泉に下った。その雪辱ではないが白馬まで繋げたかった。資料等見ると杓子岳に突き上げる杓子尾根が手ごろに思えた。猿倉から杓子尾根につながる支稜を詰める。最後の杓子尾根に突き上げる稜線が急傾斜で厳しかった。テント装備一式の重さはこたえた。でも天候に恵まれ、先行者もいた気軽さから何とか登り切り、白馬の村営小屋の横にテントを張った。次の日、白馬山頂を経由して大雪渓をすべり降りた。

●阿弥陀岳南陵(2002,3 、2013,3)

1990年代に一度行っているが資料がない。2002年と2013年に登っている。2018年3月に3人の犠牲者を出しており、一昨年も事故が起きている。年によって積雪量が異なり一概には言えないが、雪が少ないと単なる3級程度の岩稜帯である。しかし雪が積もると条件は一変する。特に危険な個所はP3と呼ばれる岩峰下のV字ルンゼ(谷)で50度位の傾斜が60m程続く。またそのルンゼに取りつくには2m程の滝を登らなければならない。そのルンゼを登攀中に先頭が滑落すれば、流しそうめんのように落ちてゆく。2018年の事故はザイルで繋いでいたからどうしようもなかった。雪山ルンゼ登攀の鉄則を守れば事故は防げるが、一部手抜きをすると事故は起きる。でも阿弥陀岳周辺にはこのような楽しめるバリエーションルートが多数存在する。

●爺ケ岳(2014,3)

本格的な雪山アタックとして爺ケ岳南尾根を目指した。過去に私は此処を経由して鹿島槍ケ岳に登った経験がある。今回は控えめな計画だ。扇沢から踏み後の無い尾根に取りつく。山容と地図を頭でミックスして南尾根に取りつく。やっと主稜を見つけ、後は力任せのラッセルだ。途中ベースを張り翌日アタック開始。天気は良く、無事爺ケ岳の頂上に到達。素晴らしい景色を堪能した。

●富士山(2012,5、2014,5)

5月の富士山には2回登っている。厳冬期に比べれば雪質が大きく変わり登りやすい。頂上は雪の覆われているが、登山客も多い。左は頂上直下の写真であるが、6人がザイルで結んでいる。春だから許される行為であるが厳冬期では法度である。一人が滑れば数珠つなぎで下まで滑落する。登りは良いが慣れていないと下りはザイルの助けを借りたくなる。

●五竜岳(2015,5)

五竜岳は過去4回、雪のある時期にアタックしているが、いずれも頂上に立てていない。3回は正月、遠見尾根からのアタックで荒天に阻まれ、白岳迄がやっとだった。また春、唐松岳からアタックを試みたが、アイスバーンとなている急斜面を登る事が出来なかった。今回、会の精鋭3人と挑み、念願の登頂を果たした。

●大朝日岳(2016,5)

春の大朝日岳に行ってきた。残雪期のこの山は2回目だ。前夜道の駅で泊まり、古寺鉱泉より登る。少し行くと雪道となる。尾根は断続的に地肌は見えているものの、アイゼンは欠かせない。天気が良く、小朝日から見た大朝日岳は岩肌がまだらに見え、素晴らしかった。大朝日小屋で泊まり、ゆっくり寛いだ。帰り小朝日岳を巻こうと思ったが、危険との張り紙があり、元の道を引き返した。その日は古寺鉱泉の湯に浸かり疲れをいやした。帰りサクランボ狩を楽しんだ。

●霞沢岳西尾根(2017,4)

冬季も紹介したが、春の霞沢岳西尾根に挑戦してみたいとの要望で実行した。1日目猛烈な雨に見舞われた。でも次の日は晴れが予想されたのでテントを中腹まで持ち上げた。テントを張ってからは濡れた衣服の乾燥に大半の時間を費やした。次の日、天気は快晴に近く周りの北アルプスの景色が素晴らしかった。途中の岩稜帯は残置ザイルが表れており、問題なかった。雪の時期は徳本峠に比べれば体力、ルートファインデングは必要であるが、はるかにアプローチが短く、面白いルートである。勿論夏は藪で登る事はできない。 ただ頂上は平坦なので、赤布竿は沢山用意していった方が良い。

●笈ヶ岳(2017,5)

200名山の中でも登りにくい山の最右翼の山である。夏道はなく、残雪期のみ登山の対象となる。北陸地方には300名山で似たような山は後2つ程存在し、残雪期しか登れない。一般的には途中でテント泊し、1泊2日であるが、軽装で日帰りが適当と判断して実行した。登山口を暗い内に出発し、急な尾根を5時間近くかけて登り切った尾根から笈ヶ岳の頂上は遥か彼方であった。途中雪が解けてブッシュが出ており登りずらい。でも何とか頂上にたどり着く。帰りは少し錯綜しつつも無事登山口に戻ったが、あたりは闇に包まれていた。日帰りはできたが所要時間13時間近かった。仮眠して北陸道を経由して戻った。結局両夜行日帰りという強行軍であった。

●猿ケ馬場山、野伏ヶ岳(2019,3)

北陸地方で夏道がなく雪のある時期しか登れない300名山、猿ケ馬場山と野伏ヶ岳に登ってきた。事前調査で大変な山だとは知っていたが、本当に大変だった。猿ケ馬場山は白川郷の集落から登り始めるが、1時間程歩くと前日降った30cm位の重たい雪のラッセルが6時間程頂上まで続く。先頭で10分もラッセルすると足が上がらなくなる。往復10時間の雪との格闘であった。でも好天に恵まれ白山連山が非常に綺麗だった。白川郷の湯で体を癒し、次いで野伏ヶ岳に挑戦。ここは少し名の知れた山でトレースはついていたが、往復8時間ほどかかった。樹林帯の長い尾根と雪稜の急坂が大変だった。天気はイマイチで白山の展望は空想するしかなかった。でも課題であったこの二山を征服出来たことはラッキーであった。雪の少なかった今年、3月になってやっと本格的な雪山登山を楽しめた。でも疲れた。

●男鹿岳(2019,4)

会津高原の男鹿岳に行ってきた。ここも夏道がなく今の時期しか行けない山だ。この山は奥深いことでも有名で、長い林道と尾根道で12時間以上の予定であった。そこで今回初めてツアー登山を選択した。慣れたガイドの配慮で直近の尾根に取りつき林道をショートカットしたが、それでも歩行時間は10時間を越した。しかも林道も含め登山道の9割以上がまだ雪道だ。こんなレアな山なので一般登山客はおらず、ツアーパーテーが2組だけだった。あと、夏道がない山は1つだけ残っている。尾瀬の景鶴山で、何とかゴールデンウイークの後半にツアー登山の力を借りてやっつけたい。

●毛勝山(2019,5)

剱連峰の北端に位置する毛勝山に行ってきた。ここも大変な山の一角を占めており、稜線の夏道ルートは12時間程かかる。今回は少しでも時間短縮を図るため、雪渓を遡る谷筋ルートのツアーに参加した。この山は登山口からの標高差が1400m程あり、雪渓も上部にゆくにしたがって傾斜がきつくなった。帰りは下るのが恐いほどの急斜面に感じ慎重にピッケルを使って下降した。それでも歩行時間は9時間を超した。厳しい山を1つクリアーした感じだ。これで今シーズンの冬山、春山の雪のある山の山行は終了した。これから梅雨の季節になり、どの程度計画が実行できるかが問題である。