◎主要な山行(青陵山の会)

東京に転勤になって山の環境が大きく変わった。一時町田に住んで、勤めが丸ノ内や五反田だったので、雑誌等で新宿周辺の山岳会を捜した。丁度その時、発足間もない「青陵山の会」が第一期生を募集していた。そこに入会して、結局33年近く在籍した。30人程度の小さい山岳会だったが、比較的ベクトルが合っており、楽しい思い出を作ることが出来た。会員の中にはサラリーマンの他に教員、医者、企業経営者、中にはKLMオランダ航空の現役スチュワーデス、現役の東大女子学生等、多彩で見聞を広げ、蘊蓄を高める事が出来た。山域も南北アルプスを中心に、一般縦走,沢登り、岩登り、雪山を楽しんだ。沢登りは愛好者が多く、丹沢から関東一円の沢に足を運んだ。また一の倉、北岳バットレス等にも出向いた。本番を目指す場合、日和田で訓練し、越沢バットレスで仕上げて本番に臨む不文律が出来ており、同様の仲間も見受けられた。雪山も随分出かけたが、悔やまれるのが、正月の遠見尾根から五竜アタックで、3回チャレンジしたが荒天や深雪に阻まれ達し得なかった。例会は新宿の「らんぶる」という喫茶店で、奥のL字席が定番で、店の人が例会には席を確保してくれた。五反田勤務の際、会社が忙しかった時、一旦例会に出て、終了後会社に戻って仕事をした事もあった。「青陵山の会」も時代の波にのまれ、浮沈を繰り返してきたが、30年以上在籍した山岳会なので、私の山人生の中で最も大きなウエイトを占めている。その中より主要な山行(近隣の丹沢,奥多摩、繰り返し登った山等は除外)をピックアップしてみた。又特に印象に残った山行は「思い出の山行」にジャンル分けて別掲載してありますので合わせてご覧ください。

1.青陵山の会に入会(1978,10)

1978年4月「青陵山の会」は創立された。当時の会員募集は「山と渓谷」や「岳人」での応募が一般的だった。前文でも書いたが、いろんな職業の方々が集まった。例会は新宿の「らんぶる」という喫茶店だった。私が入った動機はたまたま会社と当時住んでいた町田の通勤途上にあり便利だったからだ。でも特徴ある人たちの集まりで面白かった。写真の右端の黄色いヤッケが現役KLMスチュワーデスで小生がアメリカ出張の際英語のレッスンを受けた。

2. 越沢バットレス(1979,4)

青梅線の鳩ノ巣駅から歩いて行ける越沢バットレスには良く通った。岩場の裏側にオーバーハングの練習場もあり練習した。ここはアルプス等への本番の岩登りに向けての最終調整の岩場である。日和田岩で練習しここで最後の調整をして本番に臨むのが不文律になっていた。

3.御岳(1979,5)

春の御岳山はまだ雪がべったりである。火口を一周すると結構疲れた。勿論この頃は噴火など全く気にせずに行ってきた。噴火に遭われて死亡された方の冥福を祈るのみである。当時のピッケルのシャフトは全員が木であった。

4. 春山、朝日連峰縦走(1979,5)

朝日連峰は聞いた事はあったが、春の縦走は初体験であった。朝日鉱泉~大朝日岳~竜門山(避難小屋泊)~以東岳~大鳥池に抜けた。途中大粒の雹に打たれ、竜門小屋に逃げ込んだ。辛かったのは大鳥池~バス停までで、農作業の人に聞くと「もう少しだよ」というが中々着かない。東北の山深さを身に染みて感じた。

5.雲竜渓谷(1980,1)

日光の雲竜渓谷の大滝が氷結すると言う話を聞き、見学に行った。勿論氷壁登攀などできないが、見ておくべきだと思った。長いツララが円柱のように覆いつくす河原を歩くと、目を見張る大滝が現れた。手持ちの装備で真似事をしてみたが、手に負えない。この頃、真冬は寒く、袋田の滝や丹沢の沖箱根沢等でも訓練ができた。

6.八海山(1980,2)

厳冬期の八海山に挑戦した。千本檜小屋横にテントを張りアタックを試みたが天気が回復せず、降雪で視界も悪く撤退を決意。しかし、問題は下山だった。稜線は辛うじて見えるものの視界は無く又、登ってきたトレースは完全に消えており、稜線から登山口に降りる分岐が全く不明だ。今の様にGPSは無い。神に祈る気持ちで記憶を辿りながら下ってゆくと、天の助け、登山者が登ってきた。地獄で仏とはこの事か!

7.袋田の氷瀑(1981,2)

袋田の滝、今は氷瀑にはなりにくい様だが、当時は2月になると見事な氷瀑になった。又今は氷瀑登攀は禁じられているが、この時期氷瀑愛好家は結構集まって氷瀑登攀を楽しんでいた。我々も訓練のために取りついたが、本格的な装備も無かったので遊んできた。

8.春の燕岳(1981,5)

春山の燕岳に行ってきた。連休であったが、登山客の姿は少ない。槍ケ岳が綺麗に見えた。表銀座を縦走する登山者もいたが、この時期まだそれだけの覚悟はできていない。単独でゴールデンウイークに表銀座を縦走するのはこれより15年後の事である。

9.鹿島槍ケ岳(1981,8)

この頃北アルプスに出かける機会が多くなった。新宿駅を24時近い夜行列車に乗り床に寝転んで松本に着いた経験が何度もある。でも周りが同世代の若者であり何となく安心感があった。鹿島槍ケ岳は好きな山で苦い経験もあるが夏も冬も何度も登った。夏も、冬も楽しませてくれる山だ。

10.ボッカ訓練(1981,11)

今はボッカ訓練をする山岳会はマレであるが、当時は冬山シーズンが近づくと丹沢方面では大きな荷を担いでボッカ訓練をする登山者をよく見かけた。冬山に出かけるにはこの位の心構えが必要である。今はテントをはじめ登山装備が軽量化され、その必要がなくなったか?

11.富士山(1984,12)

厳冬期の富士山に静岡県側から挑戦した。山梨県側から比べれば難易度は低いが頂上直下では厳しい登りが待っていた。ジグザグの道がついており、注意して辿れば滑落の危険は低い。やはり天候を見てのアタックになる。一番左の女性が現役東大生で頑張っていた。

12.氷瀑登攀(1985,2)

冬の八ケ岳にはよく行った。縦走だけでなく、氷瀑登攀もやりたくなった。赤岳鉱泉の奥にジョウゴ沢があり、その奥壁にジョウゴ沢大滝がある。訓練で見には行ったが登るのは初体験。ただこの滝は庇のように氷がせり出しており中央突破は難しい。やむなく大滝の右側の岩と氷壁の部分を突破した。登攀を終え、後続を待つのが長く全身冷え切った。

13.岳沢~前穂~奥穂高(1991,5)

5月の連休単独で岳沢経由で前穂高~奥穂高~涸沢の縦走をした。岳沢上部の急な雪渓は大変だった。紀美子平にテントを張り翌日奥穂高を目指した。ジャンダルムに足を伸ばそうと思ったが、ナイフリッジで引き返す登山者おり断念した。

14.荒沢岳(1992,6)

荒沢岳に行ってきた。結構キツイ山とは聞いていたが、山開き前で、鎖が外してあり、すべて三点支持で登らなければならず、やばい所もあった。特にトラバースに関しては鎖がないと不安であった。

15.聖沢本谷遡行(1992,8)

この年の夏山は2組で聖岳を目指した。私は聖沢本谷経由だった。途中に聖沢の大滝がありとても登攀は出来ず高巻いた。この経験が、後年ゴールデンウイークに聖沢に迷い込んだおり、無事脱出できた糸口になろうとは思ってもみなかった。経験はいつ役に立つか分からず、積み重ねたいものだ。

16.南アルプス悪沢岳(1992,12)

この年の冬山合宿は南アルプス悪沢岳だった。山梨県側から伝付峠経由で二軒小屋の冬季小屋へ。マキは豊富にあり一晩中焚いたが、寒さは尋常ではなかった。次の日は千枚岳経由で丸山まで行ったが悪沢岳迄は行けなかった。でも赤石岳等の眺めは最高だった。

17.五竜岳(1993,12)

正月、遠見尾根経由で五竜岳を3回目指したが、天候の急変等で3回とも敗退している。1回はテントが埋まりそうな大雪に阻まれ、1回は白岳山頂まで行ったが強風で敗退、この年も初日は良かったが大雪でラッセルが進まず敗退した。後年松戸山の会の友達と5月に雪辱を果たした。

18.位牌岳(1994,6)

愛鷹山から位牌岳を縦走した。この当時まだ位牌岳は登山することは出来た。しかし縦走路としては危険個所は幾つかあった。若さに任せて突破した。しかも帰りは沼津迄駆け下り、居酒屋で喉を潤して帰った。

19.至仏山(1995,6)

山仲間と会社の友人で尾瀬の至仏山に行ってきた。まだこの頃は至仏山の両サイドから登る事が出来た。雪は消えて高山植物があちこちに顔を出していた。このようなハイキングも又楽しい。まだ尾瀬ケ原は残雪の覆われていた。

20.双六~槍ケ岳(1995.8)

以前裏銀座を縦走した際、友人が体調不良で双六から新穂高に下山した。そのリベンジで双六から槍ケ岳を目指した。西鎌尾根の高山植物が綺麗だった。槍の頂上ではガスで見晴らしがなく残念であった。帰りは槍沢経由で上高地に下った。

21.小川谷廊下(1995,9)

丹沢の沢で残っていた小川谷廊下に行ってきた。一般的な丹沢の沢の中では少しレベルが高い。小川谷廊下と名が付いているだけあって、谷が狭く、ゴルジュが発達している珍しい沢だ。水量も多く、慎重に遡行する必要はあったが中々面白い沢であった。

22.中崎尾根から槍ケ岳(1995,12)

過去に横尾尾根から槍ケ岳は登頂しているが、今度は反対側からのアタックだ。しかも前回に比べ会員は3人だ。ルートは新穂高~白出沢~槍平小屋~奥丸山~中崎尾根~槍ケ岳を目指した。しかしこの年は10年ぶりとなる大雪に見舞われた。槍平までは何とかトレースはあったが、その先は無し。大腿までのラッセルは3人では辛い。残念ながら中崎尾根の末端出ある奥丸山でリタイアした。しかし、後年(2000,12)やはり3人で同ルートをたどり、雪辱を果たした。

23.鹿島槍ケ岳(1996,5)

5月の連休に鹿島槍ケ岳に行ってきた。雪は一部で融け始めていたが、まだまだ残雪は多い。小屋はやっているが、この頃はすべてテント泊である。山頂からの景色はイマイチであった。この時期水を持ち上げる必要はなく助かる。この山も春夏秋冬良く登った。

24.越後三山(1996,8)

越後三山縦走をした。八海山までは行っているがその先は未知数であった。文献によればオカメノゾキと称する痩せ尾根が続いているらしい。八海山神社に車を置いて周回するコースで臨んだ。流石に真夏のオカメノゾキはきつく、祓川の水場の有難みを感じた。避難小屋で泊まり越後駒ケ岳を経由して八海山神社に戻ったが久しぶりに疲れた。

25.北鎌尾根(1996.9)

北鎌尾根は以前、湯股温泉から入ったことはあるが、今回は大天井ヒュッテに泊まり貧乏沢から天上沢に下り北鎌のコルから槍ケ岳を目指した。天気は小雨だった。途中稜線から少し下った尾根に3人の登山者がいた。事情を聴くと一人が滑落して怪我をしているらしい。救助要請を受け、ザイルを流して3人を稜線に引き上げた。怪我で片手が不自由らしい。このままでは登攀は出来ない。少し平らな場所でビバークをしてもらい、我々は肩の小屋へ急いで、救助ヘリを呼ぶことにした。後日の連絡で無事救助されたらしい。

26.黒戸尾根から甲斐駒ケ岳(1996,12)

黒戸尾根経由で甲斐駒ケ岳への挑戦だ。この年は比較的雪が少なく、五合目小屋周辺にあまり雪は無かった。小屋も開放されており、室内でテントを張った。しかし五合目上の岩場の核心部は氷結しており厳しかった。七丈小屋上の雪原は雪は少なく、膝下ラッセルで済んだ。頂上は快晴で眺望がすばらしかった。この山は同ルートで都合3回来ているが、2回目は上記雪原は腰までラッセルに苦しめられた。とても長いルートだ。

27.浅草岳(1997,6)

浅草岳に行ってきた。まだ残雪の残るこの山に行ったのは、タムシバを見る為である。この花は比較的日本海側に多く咲き、ハクモクレンとコブシの中間ぐらいの花で有るが花が枝一面に咲き誇り、とても綺麗であった。

28.櫛形山(1997,7)

櫛形山にアヤメを見に行ってきた。この山のアヤメは有名で山頂台地一面にアヤメが咲いていて、見事だった。しかしその後、鹿の食害に遭いアヤメは殆どなくなってしまったようだ。近年、鹿の食害を防ぐ対策が進みつつあり、一部で復活している由。喜ばしいことである。

29.会津駒ケ岳、尾瀬(1997,8)

会津駒ケ岳、尾瀬を登ってきた。天気が良く会津駒ケ岳からの眺望は素晴らしく、頂上池塘群の奥に尾瀬の燧ケ岳の景色は絵になった。又尾瀬沼では高山植物を思う存分味わう事が出来た。この時期気の合う仲間での山行が増えた。

30.白神山、岩木山(1997,9)

少し遠出をして白神山と岩木山に登ってきた。白神山地には魅力を感じており行ってみたかった。ブナの林が素晴しかった。白神山山頂の古びた避難小屋に泊まったが、トイレは立派だった。次の日、五能線に乗って移動。特別列車は観光地で停車して列車から降りて名所を見学出来た。岩木山も楽しかった。

31.大源太北沢(1997,9)

大源太北沢に行ってきた。大源太に登った際、気になっていた沢である。谷川岳のマッターホルンと言われている山だけあってその沢も急峻であった。沢は奥壁になっており、詰めは途中から岩壁のトラバースを余儀なくされた。でも印象に残る沢の1つであった。

32.北岳、間ノ岳(1997,10)

北岳は好天に恵まれ、素晴らしい秋山山行であった。しかし10月下旬だったので心配事があった。夜中天気が荒れ、肩ノ小屋のテンバに吹き付ける風に雪が混じってきた。朝起きてみると吹雪であったが、間ノ岳に向け出発。何とか無事登頂できたが、晩秋の3000mを越す南アルプスの厳しさを味わった。

33.鳳凰三山(1997,12)

今年の正月の冬山山行は鳳凰三山だった。御座石鉱泉から入り、燕頭山を経て三山を回った。雪は多くは無かったが、風は強かった。正面に北岳がくっきり見えた。13年前の同時期、厳しかったが北岳に登頂し、頂きから眺めた絶景を思い出し、感慨深かった。

34.丹沢、勘七ノ沢(1998,6)

丹沢の勘七ノ沢に行ってきた。写真はメインの滝で垂直に近いが、結構ホールドがしっかりしており、フリーで登れる。沢口までのアプローチも良く、遡行者も多い。沢は登山のすべての要素が含まれており、始めると病みつきになる。

35.早池峰山(1998,7)

ハヤチネウスユキソウを見に早池峰山に行ってきた。まだこの頃、頂上付近にはハヤチネウスユキソウは多く見られたが、後年同時期に登ってみて驚いた。頂上付近の岩場を捜しても咲いていない。新聞等で盗掘の記事を目にしたことはあるがここまで少なくなってしまった事は嘆かわしい。

36.麻綿原高原(1998,7)

麻綿原高原にアジサイを見に行った。テレビ等でその存在は知っていたが、実際に見てみると山の斜面に咲くアジサイは見事であった。交通の便は悪く車の方が良いが、散策コースを回るとアジサイの花を満喫することが出来る。

37.井戸沢(1998,8)

那須の井戸沢に行ってきた。那須の沢は初めてだったが、井戸沢が面白いとの情報からアタックしてみた。水量も豊富で、いろんな滝があり、ほとんどがフリークライミングが出来た。特に新緑が綺麗で感激した。

38.初冬の光岳(1998,11)

初冬の南アルプス光岳に挑戦した。光小屋の冬季小屋を利用した。夏は登っているのでルートの心配はなかった。南アルプス南部の為、この時期殆どラッセルもなく頂上に立てた。隣のイザルケ岳も綺麗だった。易老渡からの登りはきつかった。

39.荒沢岳(1999,1)

土樽駅から歩いて行ける場所に荒沢岳はある。しかし夏道はなく、雪にブッシュが隠れる時期だけ登る事ができる。ルートを捜しながら厳しいラッセルはあるが手ごろな2~3時間で登る事ができる。初級の雪山アタックには丁度良い。

40.唐松岳~不帰キレット(1999,5)

5月の連休に唐松岳~白馬縦走を試みた。この時期、不帰は岩稜と雪渓をうまく渡ってゆく必要がある。しかし、岩稜と雪渓の間にクレパスが思いのほか広く、渡る地点を捜すのに苦労した。又仲間が体調不良でやむなく白馬鑓温泉に下山した。

41.守門岳(1995,5)

残雪の守門岳に行ってきた。新潟県でも特に豪雪地帯で有名な山で、吹き溜まりでは5mを越す雪渓が残っていた。以前この山系で雪上訓練をしていた登山隊が雪庇の崩落で死亡事故を起こしている。我々は慎重に尾根筋を辿り春山を楽しんだ。

42.恵那山(1999,11)

長野と岐阜の県境に聳え、なだらかな山頂稜線を有する恵那山に行ってきた。アプローチに時間はかかるが、南アルプスから眺めて西に大きく稜線を伸ばすこの山は気がかりであった。時間はかかったが、楽しい思い出を作る事が出来た。

43.正月、大天井岳(1999,12)

正月のアタックは続く。厳冬期の槍、穂高連峰を見たくなった。しかし、難題は中房温泉迄、重い荷物を担いで12kの林道を歩かなくてはならない。でも賛同者が現れた。あとで言われたが、騙されたと!しかし厳しかったが、大天井岳から見た純白に輝く槍、穂高連峰の荘厳なる眺望は一生忘れることはできない。合戦小屋にベースを張り、次の日燕山荘経由で大天井に登り、素晴らしい景色をむさぼった。合戦小屋のベースでもう1泊し、再び12kの林道を下る。でも辛かったが好天に恵まれラッキーだった。

44.冬山下見、中崎尾根(2000,9)

前回敗退した正月の中崎尾根から槍ケ岳のリベンジを期して、下見山行を行った。槍平から中崎尾根を経由して西鎌尾根を下った。やはり西鎌尾根と合流してから槍の穂先までが急峻で最新の注意が必要なようだ。後は豪雪にならないよう祈るだけだ。

45.飯豊山(2000,9)

飯豊山に行ってきた。この頃から100名山達成に向けエンジンがかかった。数えて見たら70を超えていたので頑張ろうと思った。少しの間、暇を見ては100名山をつぶして行こうと思った。

46.雨飾山(2000,10)

雨飾山も登れていなかった。小谷温泉に車を置いて登ってきた。天気はイマイチだったが紅葉は始まっていた。岩場の登山道には登山客が列をなしていた。晴天の日に紅葉狩りに来たい山である。

47.笊ケ岳(2000,11)

天候を見計らって、南アルプスの展望台として有名な笊ケ岳に登った。この山は雨畑からも椹島からも登っているが、南アルプスの写真がちゃんと撮れていなかったので、写真に収めたかった。天候に恵まれ、晩秋の南アルプスの端から端迄撮影することが出来た。

48.二子山(2000,11)

二子山に行ってきた。岩山だとは聞いていたが、戸隠山を彷彿させる岩稜だった。年寄りがいたので岩稜のルートを避けて、巻き道を登ったが何時か急峻な岩場の道を登りたいと思った。

49.黒斑山(2001,2)

浅間山の外輪山、黒斑山に登った。浅間山に現れる雪と火山岩の縦縞模様を写真に収めたかった。雪は程よくあり歩きやすかった。黒斑山に登る最後のピークの手前で浅間山と黒斑山そして登っている登山客が構図となる写真が撮れた。

50.荒島岳(2001,5)

ちょっと遠征して、荒島岳に行ってきた。これも100名山を潰すための山行である。ここは深田久弥が100名山を決める際、能郷白山か荒島岳か迷った末、この山に決めたらしい。本当かどうか分からないが、深田久弥の姉がこの地に嫁いだからだともいう。

51.小室川谷(2001,6)

大菩薩に突き上げる小室川谷に行ってきた。長い沢なので、沢中一泊が必要である。大小いくつもの滝をかけ、殆どは登れたが高巻きも必要であった。沢の中で焚火をして、濡れた体を乾かし、団らんするのが又優雅のひと時である。

52.ガラン谷(2001,8)

草津から志賀高原に突き上げるガラン谷に行ってきた。この谷はスキーヤーが迷い込んで遭難する場所である。上流域はガレ場で、遡行は中流域に限られる。この沢も長いので一泊が必要である。下流域は水量が多く、私のビデオカメラが水没して息絶えた場所である。

53.西黒尾根~谷川岳(2001,12)

この年の正月、新穂高温泉~白出沢~涸沢岳西尾根経由で奥穂高岳のアタックを計画した。今までの冬山とはレベルが違う為、少し厳しいトレーニングをした。まず、西黒尾根経由の谷川岳を目指した。3人と他の登山者一人が加わり懸命なラッセル。ヤセ尾根には雪庇が張り出しており慎重に行動する。何とかトマの耳に到達。翌日白毛門に登った。

54.赤岳南峰リッジ(2001,12)

正月の穂高の錬成は続く。今度は赤岳のバリエーションルート、赤岳南稜リッジに挑んだ。文三郎登山道から赤岳南峰に直接突き上げるリッジを登った。勿論ザイルがないと登れない。上部は十分なビレイも取れない。でも力を合わせて登りきった。赤岳の頂上に飛び出すので気持ちが良かった。

55.浅間山(2002,5)

浅間山に登った。この頃はまだ登山規制がなく、頂上まで登れたし、火口の噴煙を見る事も出来た。下りは富士山の須走の様に駆け下りた。

56.光岳~聖岳(2002,8)

100名山を目指す友人がいて、残った光岳、聖岳の山行に付き合った。小屋泊まりだったの比較的楽だった。年を取ってくると歩行スピードも落ちてくるのでペース配分が大変だった。

57.明星山(2002,9)

高度な岩壁登攀で有名な明星山に登った。勿論岩登りでなく一般ルートからだ。遠目に見ても厳しい岩壁が見てとれる。又その下の河原はヒスイが産出することでも知られている。

58.百名山達成(2002,10)

狙った訳ではないが、百名山を数えて見たら、北海道や九州等を除きほぼ登っていることが判った。リタイアで時間が自由になったのでまとめて登る事にした。北海道は新潟から小樽にフェリーで渡り、自家用車で11日かけて9座を登りきった。九州方面は川崎から宮崎にフェリーで渡り、九州、四国、中国を車で回り登りきった。大変だったが知らない土地をめぐり、思い出深い山行であった。最後は東北を回り、八甲田山を100座目にした。

59.富士山(2002,10)

ネパールのカラパタールにトレッキングに行くため、高所トレーニングを兼ねて家族で富士山に登った。負担を軽くするため、静岡県側から登った。ゆっくり登ったので全員高山病にもならず頂上に立てた。

60.日光白根山(2003,1)

日光白根山に登った。日光湯本温泉から登ったので結構疲れた。季節風が吹き付け寒かった。でも全員登頂出来て良かった。その後丸沼スキー場からリフトを使っての登頂も経験したが、湯本からのコースは真の冬山コースといえよう。

61.平標山(2003,12)

元橋から松手山経由で平標山に登った。膝下ラッセルだったので頂上までたどり着けた。この辺は雪の状況により頂上まで行けない場合もあり、半分運も味方にしないといけない。

62.谷川岳(2004,1)

久しぶりに雪の谷川岳に行った。初めての人もいたので、スローペースだったが天気にも恵まれて頂上に立てた。登山道から見た谷川岳の雪を分厚く纏った凛とした雄姿に感動を覚えた。その後も何回も登っている。

63.二王子岳、御神楽岳(2004,8)

二王子岳と御神楽岳に登った。二王子岳からの飯豊連山の眺めは素晴らしかった。御神楽岳はガスに包まれ眺望がきかなかった。この山は下越の谷川岳と言われており、谷川岳の様に岩壁が素晴しいらしい。再度登ってみたい。

64.大源太山(2004,12)

大源太山に登った。夏は何度か登っているが、真冬は初めて。雪はさほどなかったが、頂上直下の急登には神経を使った。特に登頂後の下りはザイルがないと怖い場所もあった。岩稜帯なので雪が積もっていた方が歩きやすいのだが。

64.樽前山、恵庭岳(2005,6)

北海道の樽前山と恵庭岳に登った。樽前山はタルマエソウ(別名イワブクロ)の語源となった山だ。この辺の山は活火山で樽前山も立ち入り禁止の場所がある。恵庭岳も頂上直下は立ち入り禁止となっており登れない。両山ともいまだに噴煙を上げている。

65.金峰山(2006,2)

雪の瑞牆山と金峰山に登った。天気は良く360度見渡せた。瑞牆山も雪はあまりなく岩場も問題なく通過できた。富士見平~金峰山は結構なアップダウンがあり、又岩稜の狭い所もあり注意が必要だ。

66.山伏(2006,11)

山伏に行ってきた。この山は南アルプスの登山口、椹島に向かう途中の富士見峠より入る。安倍川台地の最高峰で2013mある。富士山や南アルプスの眺望が期待できる。ヤナギランも綺麗らしいがシーズンオフだった。

67.日向山(2006,12)

日向山に甲斐駒ケ岳の写真を撮りに行ってきた。まだ甲斐駒ケ岳の積雪が少なく少し迫力に欠けたが、雄大な姿を写真に収める事が出来た。出来れば再度もう少し積雪の多い時期、来たいと思っているが実現していない。

68.三伏峠(2008,1)

100名山達成で中だるみであったが、新しい雪山への挑戦が始まる。この頃になると冬山の仲間も減ってきた。写真撮影のため、南アルプスでも比較的入り易い三伏峠を単独で目指した。塩川小屋から誰もいない夏道を一人でラッセル。何とか三伏峠に辿り着く。冬季小屋に潜り込んだが、誰もいない。厳冬期用のシュラフを持ち込んだが寒さが尋常でない。あまり眠れず夜が明けた。あわよくば塩見岳を狙おうとしたが深い雪に阻まれ、断念。快晴の塩見岳の写真を収め下山。

69.涸沢~パノラマルート(2008,10)

涸沢の紅葉を見ようと横尾から涸沢に入った。途中の屏風岩も綺麗だった。涸沢の紅葉が素晴しかった。パノラマルートを通り新村橋に帰る途中、寄り道をして屏風岩の頭から涸沢を眺めてみた。これも印象に残る景色であった。

70.安達太良山(2008,12)

久しぶりに雪の安達太良山を訪ねた。くろがね小屋に泊まり温泉に浸かり、ゆっくり山行を楽しんだ。天気は良く周囲の景色も堪能できた。時としてこの山は変貌を遂げ、以前スキー場から登った時は、強風で足を上げるとよろけてしまい、撤退したことがあった。

71.長九郎山(2009,1)

伊豆半島の中部にある長九郎山に行った。天城山までは良く行くが、その奥にある長九郎山は登っていなかった。陽だまりハイクのつもりで登ってみた。頂上からの見晴らしは良くないが、伊豆の山特有の雰囲気があった。

72.三原山(2009,3)

伊豆大島の三原山に行った。竹島桟橋から夜行の船で渡った。島では丁度、椿祭りの最中でカスリの若娘が迎えてくれた。思ったより規模の大きな山で、数年前の噴火の痕跡が生々しかった。たまには島の山もいいものだ。

73.ジャンダルム単独行(2009,10)

ジャンダルムは何回か行っているが、この年、1日で縦走を試みた。西穂山荘を早暁に出発し、奥穂まで縦走し、そのまま白出沢経由で新穂高迄下る計画だ。奇遇にも西穂山荘で田部井さんと出会う。途中この年遭難したヘリの残骸が岩場に引っかかっていた。岩場ルートの一人旅は楽だ。同行者を待つ心配がないため自分のペースで進める。危険な所もあったが慎重に歩を進め、10時間ほどで新穂高に帰着した。

74.白毛門(2009,12)

白毛門は12月には毎年通った。冬山に行くには避けて通れない行事の様な存在だった。土合のステーションホテルで泊まり、次の日は白毛門を目指してラッセルだ。今までの経験から登頂到達確率は30%ほど。天気が悪かったり、初級の登山者が数珠つなぎで遅々として進まなかったり、ラッセルドロボーがいたり。でもだんだん登山者の数は減少しているように思う。

75.徳本峠(2010,1)

この年は徳本峠から霞沢岳を目指した。しかし徳本峠への道は遠く、腰までラッセルで遅々として進まない。峠に着くころには疲れ果てて、日も傾いてきた。この深雪、3人では霞沢岳へのアタックは断念せざるを得なかった。

74・正月以外の鹿島槍ケ岳(2010,1)

同僚で正月に山に入れる人は少なくなってきた。そこで厳しいのを承知で1月中旬、鹿島スキー場から鹿島槍ケ岳をアタックしてみた。雪山人口は減っていることは承知している。でも高千穂平のベース地までは行って、鹿島槍の雄姿を写真に収めたかった。しかし現実は甘くなかった。登山口の大谷原から西俣出合迄夏だと1時間ほどだが、膝下のラッセルを強いられ4時間を要した。そこでテントを張り、翌日高千穂平までは行こう荷を軽くして赤岩尾根にアタックした。しかし赤岩尾根に取り付くと積雪はさらに増し、急坂では腰まで~胸までラッセルになり、高千穂平に辿り着けないまま、時間切れ退却となった。

75.由布岳、大船山、法華院温泉(2010,2)

今期の冬山は深雪に阻まれ、立て続けに目的を達せなかった。傷を癒す為?に九州に飛んだ。由布岳に登り由布院温泉に浸かった。由布岳は山焼きで裾野は真っ黒だった。又少し足を伸ばして九重山群の大船山に登った。帰りは法華院温泉に泊まった。ミヤマキリシマの咲く頃は登山客でごった返していたが、今の時期静寂さの中、秘湯の湯を存分に味わった。

76.唐松岳~五竜岳(2010,5)

春の唐松岳~五竜岳の縦走を単独で試みた。唐松岳は登れた。しかし五竜岳は急峻な尾根のトラバースが続き危険だったので断念した。五竜岳は正月3回挑戦したが、登頂できずにいた。春山で登頂できたのは2015年を待つことになる。帰りの遠見尾根から見た鹿島槍ケ岳のモルゲンロートが素晴しかった。

77.巻機山(2010,12)

巻機山に行った。新潟県の豪雪地帯にあり、ラッセルが追いつくか心配だった。案の丈、日帰りでは無理だった。でも何とかニセ巻機山までは辿りついた。この山は大勢でラッセルしないととても征服できない。

78.浜石岳(2011,1)

冬場の気軽な山として人気のある静岡の浜石岳に行った。登山道脇にはミカン畑が広がっている。富士山の眺めが抜群であった。登山口の由比は桜エビの産地であり、味わってきた。

79.唐松岳(2011,2)

厳冬期の唐松岳に行った。絶好の好天に恵まれ純白に輝く白馬三山や五竜岳、鹿島槍ケ岳が綺麗に見えた。ルートは踏まれており、ラッセルの必要はなく快適だった。冬場この地域で快晴は数えるほどで、タイミングが良かった。

80.峨ケ岳(2011,4)

市川三郷の四尾連湖から登る峨ケ岳(ひるケ岳)に行った。あまり有名でないが富士山や南アルプスの展望が良い。南アルプスは雲があったが富士山は綺麗であった。ハイキングとしても面白い。

81.トムラウシ(2011,6)

北海道のトムラウシに行ってきた。春の北海道の山を体感したかった。残雪が多い所ではルートが不明な箇所が多く苦労した。登山者も殆どいなかった。トムラウシ温泉からの日帰りピストンだったので、ゆっくりトムラウシ温泉に浸り疲れを癒した。

82.槍、穂撮影山行(2011,11)

この頃から雪山の写真を撮りに一人で出かけるようになった。槍、穂高は常念岳からのアングルが最適で、三股迄車で入れるぎりぎりを狙って入山した。ここは以前アタックした経験があり、石室で泊まった。今回もその予定でいたが、思ったより足が速く進み、日帰りで済んだ。常念岳からの槍、穂高連峰の眺めは素晴らしく夢中でシャターを切った。大天井からのアングルとは違って、前面に連なる雪を戴いた峰々は、神々しくも見えた。写真と共に脳裏に深く刻まれた。

83.冬の南アルプス展望台(2011,12)

先月の常念岳に味をしめて、今度は南アルプスの展望台と言われている笊ケ岳を目指した。夏には一度登っているが、雪の南アルプスを撮影したかった。私の山岳写真の神髄は芸術的ではなく、見て綺麗だなと思える写真である。雨畑から入り布引岳の鞍部にテントを張り、撮影の備えた。本当に北岳から上河内岳迄南アルプスが一望できる山だ。でもやはり中心の山は聖岳、赤石岳である。この特徴ある二座をカメラに収めることが出来て幸せだった。

◎記念誌等

青稜山の会でも節目に歴史をまとめた会誌を作った。人数が多くなかったのでみんなで手分けしてまとめ上げた。20年誌「青き稜線」154ページに及ぶ大作で写真や会の行動記録等を纏めた。別冊は20年間の毎月発行した「青き稜線」会報の全記録を収録した。又「30年の歩み」は年代毎、のトピックスを纏めて一冊とした。思い出を詰め込んだ資料となった。

◎青き稜線の発行は1997年12月であった。

◎30年の歩みの発行は2007年11月であった。